千日デパート火災

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千日デパート火災

千日デパート火災(せんにちデパートかさい)は、1972年(昭和47年)5月13日大阪市南区(現在の中央区千日前の千日デパートで起きた火災である。死者118名・重軽傷者78名、沖縄の復帰を間近に控えた日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。

実際には百貨店ではないことから「千日デパートビル火災」という呼称も多く使われる。また、地名から「千日前デパート火災」とも。

千日デパート[編集]

千日デパート火災

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に開業した商業ビルで、専門店街や劇場などが入居していた。経営者は千土地興業(1963年に日本ドリーム観光と改称)。『まいにちせんにち、千日デパート』のコマーシャルソングで知られ、また屋上に1960年(昭和35年)から設置された観覧車は大阪名物となっていた。

元々は1932年(昭和7年)9月28日]竣工した大阪歌舞伎座(旧・大阪楽天地)の建物だったものを、新歌舞伎座(2009年6月30日閉館)の竣工に伴い改装、地下1階から地上5階までを商業施設、6階を演芸場千日劇場と食堂、7階を大食堂、屋上には遊戯施設としていた。営業時間は朝10時から夜10時まであった。ビル正面には“丸にS”(Sen-nichiから)のマークが掲げられていた。

1972年(昭和47年)5月の火災発生当時は1~2階が専門店街形式で直営の『千日デパート』、3~4階はスーパーニチイ千日前店』、5階が均一ストア、6階がゲームコーナー(千日劇場跡)、7階がキャバレー『プレイタウン』(子会社の千土地観光経営)で、地下1階はお化け屋敷と喫茶店を組み合わせた『サタン』(千土地観光経営)となっており、同じ商業施設でも階毎に経営者が異なる雑居ビル状態だった。さらに、6階の劇場跡部分がボウリング場へと改装中、また3階ニチイの洋品売場も改装工事中という状況であった。

概要[編集]

千日デパート火災
千日デパート火災

下階店舗が閉店した直後の22時27分頃、3階婦人服売り場より出火。延焼は5階までだったが、建材の燃焼による有毒ガスが階上に充満し、避難設備の不備と従業員の不手際が重なって、多数の死傷者を出す惨事となった。

出火原因は電気工事関係者のたばこの不始末で、出火場所は3階フロアーの南東角の部分であったという。逃げ道であるはずの階段室が煙突の役目を果たし、営業中であった7階のアルサロ(アルバイトサロン)「プレイタウン」にまたたく間に煙が充満。たまたま土曜日で、休みの前日に当たり店内には客が多かった(当時はまだ週休二日制は一般的ではなかった)。更にエレベーターが火災による停電で停止。逃げ場のなくなった客の中には窓ガラスを割り、15m下の地上目掛けて飛び降りた者もいたが、飛び降りた24名の内22名が全身挫傷や頭蓋骨折などで死亡。被害を拡大させる一因となった。飛び降りなかった客の多くも一酸化炭素中毒で窒息死し96名が7階フロアで折り重なるように倒れていたという。一部は、窓枠にしがみつき半身を乗り出した状態で絶命していた。また非常誘導路上に間仕切りが施され、事実上消失していた事等、雑居ビルの欠陥を露呈させる事件となった。

同ビルは大阪で有数の高地価な千日前交差点の角地にあり、家主の日本ドリーム観光はこの時価に見合う賃料収入を確保すべく、多くのテナントを入れていた。この結果、全館の管理責任体制がかなり不明確となっていた。また日本ドリーム観光はテナントから管理料を徴収し、原則夜間駐在を認めなかった。これは同社が夜間管理を一括して行うことを意味したが、結局その管理体制に手抜かりがあり、火災発生から消防署への通報まで相当な時間があったと言われる。更に、このビル自体、大阪歌舞伎座を改築した古い建物であったため昭和25年施行の建築基準法に不適合の状態であり、防火シャッターが自動作動するものではなく、火元の3Fで保安係が作動させなかったことや、スプリンクラー設備が未設置であったことも被害が拡大する要因となった。

この火災に関して、千日デパート関係者2名(管理部次長・管理部管理課長)および『プレイタウン』を経営する千土地観光関係者2名(代表取締役・プレイタウン支配人)の計4名が、業務上過失致死傷罪で起訴された。このうち千日デパート管理部次長については第一審係属中に死亡したため公訴棄却となったが、残り3被告について第一審(大阪地裁昭和59年5月16日判決)は、3被告全員に無罪を言い渡した。しかし、控訴審(大阪高裁昭和62年9月28日判決)では一転して全員が有罪とされ、上告審においても結論は変わらず(最高裁平成2年11月29日決定)、千日デパート管理部管理課長に禁錮2年6月・執行猶予3年、千土地観光の2被告は禁錮1年6月・執行猶予2年の有罪判決が確定した。

千日デパートは火災後閉鎖され、地震に耐えられる強度がないとの理由でまもなく取り壊し・テナント強制退去の対象とされた。しかしこれに対し千日デパート再興を願う専門店街側が中坊公平を団長とする訴訟団を結成した上で日本ドリーム観光を相手に訴訟を起こし、新歌舞伎座の前でむしろ旗を掲げて抗議する騒ぎとなった。

また、この事件と翌年起きた大洋デパート火災の出火建物が建築基準法に対し「既存不適格」であったことで、建築基準法及び消防法の大幅な改正が行われる契機となった。

動画[編集]

千日デパート火災

動画:死者118人、千日デパート火災から40年

最高裁判例[編集]

千日デパート火災
  • 事件名=業務上過失致死傷事件
  • 事件番号=昭和62(あ)1480
  • 裁判年月日=1991年(平成2年)11月29日
  • 判例集=刑集第44巻8号871頁
  • 裁判要旨
    • 閉店後に工事が行われていたデパートビルの三階から火災が発生し、それによる大量の煙が七階で営業中のキャバレーの店内に流入したことにより、多数の死傷者が生じた火災において、デパートの管理課長には、防火管理者として、三階の防火区画シャッター等を可能な範囲で閉鎖し、保安係員等を工事に立ちあわせ、出火が発生した際には、すぐさまキャバレー側に火災発生を連絡させる等の体制を採るべき注意義務を怠った過失がある。
    • キャバレーの支配人には、防火管理者として、階下において火災が発生した際、適切に客等を避難誘導できるように普段から避難誘導訓練を実施しておくべき注意義務を怠った過失がある。
    • キャバレーを経営する会社の代表取締役には、管理権原者として、防火管理者が防火管理業務を適切に実施しているかどうかを具体的に監督すべき注意義務を怠った過失がある。
    • それぞれ業務上過失致死傷罪が成立する。

 * 法廷名=第一小法廷

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

大阪千日デパートビル火災 千日デパート火災

- 失敗知識データベース

参考画像[編集]

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